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08 新たな日本サッカーの歴史を

川淵 三郎
SABURO KAWABUCHI

08 新たな日本サッカーの歴史を 川淵 三郎

Jリーグ初代チェアマン、第10代日本サッカー協会会長として、日本サッカーの歴史の中心にいた川淵三郎氏。現在は日本サッカー協会の相談役を務める傍ら、日本トップリーグ連携機構会長として様々なスポーツの普及と強化に尽力している。今も変わらぬ情熱でスポーツに接する彼の原点は、日本代表だった。

新しい日本代表のユニフォームの印象を教えてください。

川淵:今までにないデザインで、新鮮さを感じますね。僕が代表でプレーしていた頃から、青はサッカー日本代表を象徴する色として使われていて、勇気や希望といった人々の思いが込められていた。この新ユニフォームは、いろんな人の空への思いを汲み取った、ユニークで素晴らしいユニフォームだと思いますね。若い人にとっても着てみたくなるようなデザインなんじゃないかな。

この新ユニフォームを着用する現在の日本代表についてどう感じていますか?

川淵:本当に強くなったと思います。現在行われているカタールW杯のアジア2次予選を見ても、一人一人のボールコントロールやパスワークの質が高く、ミスも少ない。世界の一流選手たちがプレーしているような印象を持ちますね。これまでは中盤の選手の活躍が目立っていたけど、最近はFWの選手も成長を見せていて頼もしい限り。DFに関してはなかなか難しいんじゃないかと思っていたけど、それも覆してきている。すべてのポジションにおいて世界で活躍する選手が出てくれば、W杯でのベスト4も実現できると思いますよ。

様々な立場で日本代表に携わられてきた中で、川淵さんにとって日本代表はどのような存在ですか?

川淵:すべての原点ですね。初めて日本代表を意識したのは大学生の頃で、当時の代表選手が着ていた、「JAPAN」と書かれたトレーニングウェアを自分も着てみたいと憧れていました。1958年に初めて代表に選ばれて、東京でオリンピックが行われると決まった時には、絶対に出場したいと思った。ところが、大会の2年前に脊椎分離症になり、1年間、ほとんど動けなくなってしまったの。せっかくここまで頑張ってきたのにと、本当に悔しかった。普段の自分だったらそこで諦めていたと思うけど、必死に食らいついてなんとか前年に回復し、大会に間に合った。なんとしても大会に出たいという強い思いがなければ復帰できなかったと思いますよ。その後Jリーグを立ち上げ、日本サッカー協会の会長も務めたわけだけど、あの時日本代表のユニフォームを着ていなかったら、ここまで真剣にサッカーに取り組んでこなかったと思いますね。

大会に関しては、どんなことが印象に残っていますか?

川淵:開会式で入場ゲートをくぐった瞬間、大歓声が耳に入ってきた。あれは人生の中で最も心がふるえた瞬間だったね。頭上には真っ青な空が広がっていて、あの青空に勝るものは未だに見たことがないと言っていいくらい。当時、NHKのアナウンサーが「世界中の青空を全部東京に持ってきたような、素晴らしい秋日和でございます」と実況したんだけど、後で聞いてうまい表現だと思ったね。

そして来年、再び東京で世界の祭典が行われます。チームにはどんなことを期待しますか?

川淵:開催国だからやはりメダルを取って欲しい。メキシコ大会の銅メダルは、日本サッカーの歴史においても象徴的なものだけど、現在のチームは、当時と比較しても相当レベルアップしているし、選手の粒もそろっている。一方の女子は、元々高い技術を持っているから、多少のコンタクトでも負けないように体幹を強化してメダルを狙って欲しいと、先日高倉(麻子)監督に話しました。日本トップリーグ連携機構の会長としても、男女共にメダルを取ってくれると嬉しいですね。簡単なことではないけれど、選手が最大限に力を発揮すれば十分可能性はあると思いますよ。

ドーハの悲劇が持つ価値

話題を再び日本代表の話に戻します。これまで多くの経験をされてきたと思いますが、日本代表に関わってきた中で記憶に残る出来事を教えてください。

川淵:たくさんありますね。個人的には“ジョホールバルの歓喜”よりも“ドーハの悲劇”の方が衝撃的でしたね。Jリーグが開幕して爆発的なサッカー人気が起こり、それと並行してアメリカW杯の最終予選が行われました。イラク戦のタイムアップ寸前でヘディングシュートを決められるまでは、すべてがうまく進んでいた。だけど、心のどこかでは「こんなにうまくいっていいのか、神様がそこまで与えてくれる訳がないよな」って思っていたんだ。もちろん日本に勝って欲しいというのは当然だけど、失点した瞬間、「やっぱりな」という冷静な自分がいたことは確か。でも、記者の方からは茫然自失の表情だったと言われたけどね(苦笑)。
改めて振り返ると、日本中の人がわずか数秒で天国から地獄に叩きつけられる瞬間を味わったドーハの経験は、日本サッカーの歴史においても貴重だったと思う。あのまま順調に出場権を得ていたら、W杯出場はそんなに難しくないものだと思われていたかもしれません。サッカーではこんなことが起こるのか、とみんなが衝撃を感じたことはものすごく大きかったと思いますね。そういう意味でも、日本サッカーの歴史において“ジョホールバルの歓喜“よりも“ドーハの悲劇”の方が記憶に残る出来事になったはず。それぐらい価値のある出来事でした。

その後、日本代表はドーハの悲劇を乗り越えて1998年フランスW杯で初出場、そして2002年には日韓W杯が行われました。

川淵:日韓W杯は色々と勉強になる大会でした。当時も日韓関係は良くなかったのですが、W杯の共同開催によって一気に変わった。色々と大変だったけど、両国の関係を考えると共同開催で良かったと思いますね。渋谷のスクランブル交差点にサポーターが集まるようになったのは、日本が勝ったロシア戦が最初でしょ。みんなが代表ユニフォームを着て応援するようになったのも日韓大会からだったと思う。当時は、あらゆるお店から日本代表のユニフォームがなくなったと言われているけど、他にもたくさんのエピソードが生まれ、サッカーが社会に与える影響力の大きさを実感した大会でした。

スポーツが文化になること

現在はトップリーグ連携推進機構の会長として様々なスポーツに携わられていますが、「社会におけるスポーツが持つ価値」について、どんなことを考えられていらっしゃいますか?

川淵:欧米と比べたら、日本ではまだまだスポーツが生活の一部になっていない。今後、IT(情報技術)やAI(人工知能)が発達して余暇が増えることが予想される中で、スポーツを楽しむことで人生が豊かになれば、これほど素晴らしいことはない。
個人的な話になるんだけど、娘をゴルフに誘うと必ず一緒に来るの。今では僕より彼女の方がゴルフに熱心かもしれない。体を動かすことで健康的な生活を送るようになり、ゴルフを通じて多くの人と知り合い、生活の一部にゴルフがあることで彼女は人生を楽しんでいます。
あとは、運動能力が低い人でも楽しく遊べるスポーツを開発すべきだと思うね。最近、僕はウォーキングサッカーを推奨しているんですよ。このスポーツはサッカーをやったことがない人でも経験者と対等にプレーができ、子供や大人も一緒に楽しくプレーできる。サッカーの世界から見た場合、ウォーキングサッカーほど多くの人に愛されるスポーツはないんじゃないかと思っていて、一生懸命奨励しています。いかに人生を豊かにするか、それがこれからの日本人にとって一番大切なこと。サッカーに限らず、運動が苦手な人も気軽に参加できるスポーツが増えていくといいですね。

日本サッカーがさらに成長するにあたって、どんなことが必要だと思いますか?

川淵:いろいろなところで計画が出ていますが、やはり、サッカー専用スタジアムを増やす必要があると思う。それと、試合を観るだけでなくエンターテイメントや飲食、物販などが充実することで、試合の前後も含めてスタジアムへ行くのが楽しいと思ってもらえるような場所になってほしい。
ヨーロッパのサッカー先進国では、試合の2時間前くらいから人が集まってきて、スタジアムのレストランで会食が始まり、そこでいろいろな会話を楽しむ。向こうでは、コミュニケーションを取る場としてスタジアムが活用されているわけだけど、そういうことに対する意識が日本はまだまだ低いと思うね。ヨーロッパのようなスポーツ文化が定着すれば、スタジアムが人と出会う場となり、ひいては、新しいビジネスに結びつくことになるかもしれない。飲食の売り上げも伸びますよね。そうなることで、サッカーがそれ以外の分野に与える影響力はさらに大きくなると思いますよ。

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