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重圧を乗り越えて / 野中生萌

日本のボルダリング界のスターは、自国開催の大会でのメダル獲得を目指していた。しかしそんな彼女の前に立ちはだかったのは、出場枠をめぐる問題と先行きの見えないパンデミック。メンタル向上のために野中生萌が選んだのは、ファンと向き合うことだった。

野中生萌はもはや、日本における社会現象だ。たぐいまれなクロスオーバーアスリートは、スポーツの枠を超えて全国的な注目を集め、広告やファッション誌の顔となった。ヨセミテ国立公園にそびえる高さ900メートルの絶壁エル・キャピタンをロープなしで登りでもしない限り、クライマーにこうしたスポットライトが当たることは珍しい。女性の場合は特にそうだ。

ここまでのメディアの注目が集まったことで、大きなプレッシャーがのしかかった。世界最大のスポーツイベントが日本で開催され、しかもクライミングが初めて公式種目として認められることになって、野中へのプレッシャーは大きくなる一方だった。ボルダリング世界選手権で圧倒的な力を見せつけた野中には、肩の負傷から復活した後、新たな挑戦が待ち受けていた。日本代表選考方法を巡る問題で、彼女の東京大会への出場権が法廷で争われることになってしまったのだ。

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彼女は、大会に出場できるかわからない状況が1年以上続いたことで、不安で押し潰されそうな日々を過ごし、フラストレーションは溜まっていく一方だったという。それでも彼女は、世間の期待とそのプレッシャーをプラスに捉え、前に進むための原動力とした。

生まれながらのクライマー

“始めた頃は、誰もクライミングなんて言葉を知らなかった。”

野中生萌がクライミングに初めて挑戦したのは、8歳の時。日本でクライミングが流行するずっと以前のことだ。「始めた頃は、誰もクライミングなんて言葉を知りませんでした」と語る野中。父親に遊び感覚でインドアクライミングに連れていってもらった時、姉のようにうまく登れない自分に悔しさを感じたという。

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野中を駆り立てたのは、姉妹間のライバル意識。姉がクライミングを辞めた後も、彼女の情熱は冷めることはなかった。15歳でクライミングの世界選手権に出場するようになり、次第に彼女の名が知られていった。野中生萌は、パワフルかつダイナミックなアプローチで課題をこなす。それは、一般的なロッククライミングよりもむしろ、器械体操のようにも見える。そんな独自のアプローチは、見た目が華やかなだけでなく、実際競技の結果に結びつくものだった。2016年から2018年にかけて、表彰台から離れることはめったになかった野中。2018年には、ボルダリング世界選手権のチャンピオンに輝いた。

その頃、日本ではクライミングへの関心が高まり、屋内クライミングジムが次々と新設されていった。ただし、東京大会ではボルダリングのみの個別競技は行われない。ロープなしでA地点からB地点まで登る「ボルダリング」に加え、高さ15mの壁でタイムを競う「スピード」、ロープを掛けながら、制限時間以内にどの地点まで登れるかを競う「リード」の3種目の複合競技が行われる。野中がメダル圏内を狙うには、「スピード」と「リード」種目をレパートリーに加える必要があった。

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自分自身をより理解するために

野中は当初、不得手と感じていた他の2種目を極めなければならないことに関して、焦りを感じていた。特にリード種目では、彼女にとっての本来の限界地点に到達する前に落下することもしばしばあった。「選手は誰でも、他の種目より経験があってより得意な種目を持っていますが、この複合競技の形式は、そういった実情にそぐわないものでした。なぜそうなったのか理解に苦しみ、不安に感じました」と野中は語る。しかしその後、他の選手も自分と同じ立場にあり、今課されているのは、身体的なトレーニングよりもむしろ、自分自身の感情を理解することだと気づくことができた。

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「競技で壁の前に立った時に、自分に影響を与えるのは、ほぼ100%精神的なものです。競技で負けるのは、たいてい心のコントロールを失った時。それが本当に嫌でたまりませんでした」そうした状況を振り返り、何が間違っていたかを受け入れ、今後同じ状況になることを回避するにはどうすればいいかを考えることで、自分の心への理解を深めていった野中。単にポジティブに考えればいいという訳ではなく、自己認識を高めていくことが大事だと気づくことができた。

「自分の感情をコントロールできればいい、ということでもありません。自分の中のネガティブな思考に気づくと、まずはポジティブにならなくちゃと考えてしまいがちです。そうすると、マインドを転換するのに必要以上のエネルギーを費やすことになってしまいます。そうではなくて、むしろ一歩引いて『OK、私はちょっとコントロールを失いかけてる』とまずは認識してあげて、そのうえで『じゃあ、どうすればいいだろう?』と自分自身に問いかけてみるんです」

“メンタルが弱かった過去の経験が、自分を強くしてくれた。”

ボルダリング種目のスペシャリストだった野中は、3種目を制覇するオールラウンダーへと成長した。「マインドを準備できれば、自分のベストを尽くすことができます。メンタルが弱かった過去の経験が、自分を強くしてくれました」と野中は語る。

潰えた夢の自国開催

野中は、そんな精神的な強さは、競技以外の日常生活にも必要不可欠なものだと思い知る。出場枠を獲得できるかどうかをやきもきしながら待っている間、野中はさらに大きな打撃を受けた。パンデミックだ。新型コロナウイルスの流行は、試合を中止に追いやり、東京大会も延期となった。2020年、祝祭ムードにあった開催国の日本で、大会延期のニュースは、野中をはじめ日本国民にとって大きな衝撃となった。

“あの状況で競技をしても、きっと心から楽しめなかったと思う。”

「ニュースを聞いた時は、ショックでがっかりしました。世界中の人々に生まれ育った国に来てもらえるなんて、とてもワクワクする経験です。でもあの状況で競技をしても、きっと心から楽しめなかったと思います」

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2021年に大会が開催されるのかどうか、そもそも出場枠が獲得できるのかわからない不安な状況の中で、野中は世界中にいる彼女のファンから勇気づけられたという。2020年から開始したYouTubeチャンネルをはじめ、彼女のSNSには熱狂的なファンがいる。ファンからよくあるコメントの筆頭は、「もっと動画を投稿してください」というもの。

インスタグラムでは、スタイリッシュな服に身を包んだ自撮り写真とクライミング中の写真を投稿。幾何学模様のように配されたホールドを背景にした写真は、まるで彼女が抽象画の中をクライミングしているかのような印象を与える。人気はやはりクライミング中の写真で、複雑な動きをとらえた写真には、5万以上のいいねがつくこともある。競技中の写真を投稿する女性アスリートはいても、これほどの影響力がある選手はなかなかいない。クライミングの優れた能力を利用して人々と繋がっていくことができる、野中の稀有な才能の証しと言えるだろう。

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出場枠をめぐる一件が落ち着いて日本代表チーム入りが決定するとすぐ、野中はファンとの繋がりがどれだけ自分に力を与えてくれたか、そしてここ数年で身につけた自己認識の大切さについて言及した。「私を応援し、サポートしてくださるたくさんの人のおかげで、この困難な時を乗り越えることができました。再び力を取り戻し、強い意志を持ち続けることができたのは、皆さんのおかげです。だからこそ、大会で良い結果を出すことで、その恩返しをできたらと思っています」

野中にとって、日本での彼女の人気は重荷でもプレッシャーでもない。むしろ、今の人気が彼女の可能性を広げ、彼女に力を与えてくれることを期待している。「ファンの応援のおかげで、自分がなぜクライミングをするのかという原点に立ち返り、そこから未来へのヴィジョンを描くことができました」と野中は語る。

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